まるで真冬の海のようだ、とアスランは思う。
今謁見の間にはアスランとジェイド、そして戴冠して玉座についたピオニーしかいない。
臣下の礼を取ったまま、頭を上げる事すら許されない己に突き刺さる視線は、普段の彼を知る者が見れば目を丸くするだろう。
それほどまでに冷え冷えとした物だった。
だがそうなる原因を知れば、誰もが納得する。
自国の陸艦を航行不能にされた挙句、乗員百余名の死亡を確認。
未来の皇妃とされた婚約者は誘拐され、行方知れずとなれば。
「・・・・・・それで?」
頬杖をついて、さも怠そうにピオニーは目を細めた。
「ハッ! 捕らえた兵の多くはやはりキムラスカの人間でした」
「それで、血の気の多い奴らはキムラスカが今回の首謀者だと騒ぎ立てている訳だ」
「・・・・まだ詳しい情報もないというのに、御恥ずかしい限りです。ですが陛下、そう仰るということは、やはり陛下も・・・・・」
「そんな事、すぐにわかるだろうに。軍部の無能さに呆れるべきか、それともよくもやってくれたなと相手を評価すべきか、迷う所だ。」
彼はそう言って、ゆるりと口角を吊り上げる。
それは紛れもなく、嘲笑であった。
確かに掴まった多くの人間は、マルクトと友好を結びたくないキムラスカの者たちだった。
その彼らを扇動し、マルクトへの暴挙に導いたのは第三者・・・・ローレライ教団の人間だったのだ。
だがそれを知る者は少ない。
そもそも暴動を起こした中でも一部の人間しか知らないことであったし、その首謀者たる人間達を捕まえられなかった今、それを証明しようにも証明する事ができない。
「一部の兵士達の間には、キムラスカがルークを手放すのが惜しくなり誘拐したのではないかとまで噂しています。悪いのは、キムラスカだと」
ピオニーの近くに控えていたジェイドは、いつもの変わらぬ笑みを浮かべながら事実を報告する。(だが腹の内は煮えくり返っていることだろう、とアスランでも容易に想像できた。)
「このまま行けば、戦争になります。」
「だろうなぁ」
「陛下、どうなさいますか?」
「どうする、か・・・・」
正直今のピオニーにとって戦争などどうでも良かった。
宣戦布告されたのならば戦うし、逆に相手を潰す策略だってある。
「でもなぁ」
脳裏に浮かぶ愛しいルークの笑顔が浮かんでは消えていく。
あの子は優しいから、戦争になって誰かが傷つく事を良しとしないだろう。
それがマルクトの人間だけでなく、キムラスカの人間でもそう考えるのだろう。
ならば、ピオニーの取るべき道は自ずと決まってくる。
「放っておけ」
「ハッ!・・・・は!?」
反射的に了解したアスランだったが、予想外の言葉に思わず顔を上げて聞き返してしまった。
だるそうな態度のまま眼光だけは鋭く見下ろされ、アスランは慌てて頭を垂れた。
「あちらが行動を起こすまで、我々は干渉しない。ただ国境付近の警備は増強しておけ。その件はジェイド、お前に任せた」
「拝命承りました。」
彼の言葉にジェイドは優雅に一礼して見せたが、ピオニーはそれを一瞥もしなかった。
「それとアスラン、お前にはあと少しと迫りながら、みすみす未来の皇妃を誘拐された不手際がある。」
「罰を受ける覚悟はできております。」
「そうか。それでは、アスランと他数名の兵士は秘匿部隊に任命する。・・・・・何をするか、わかっているな?」
「ハッ! 皇妃様の保護とローレライ教団が介入した証拠を探してきます。」
「人選はお前に任せる。出来如何によっては、今回の事は特別に不問にしてやる。精々死ぬ気で働け。お前自身の為にも・・・・・・ルークの為にもな」
ああ、煩わしい。
この豪奢な椅子から一歩たりとも動けぬ自分が、憎らしい。
椅子が己を縛り付けていることを、再認識してしまった。
(ルーク、お前がいないとこの椅子は硬くて冷たくて重くてどうしようもない。)
実際にはそんなことはない。
玉座に使われる布地は最高級品であるし、クッションも最高級品で硬いなんてありえない。
キラキラと光る装飾品も輝いて、確かに美しいだろう。
だがピオニーにとっては、好きな女一人も助けに行けられないほど重くて、今日この時ほど煩わしく感じた日などありはしなかった。
「ルーク、早く帰って来い。でなければ俺は、そこにある全てのモノに当り散らして壊してしまいたくなる。」
感情を含ませずだるそうな声音で呟かれた言葉に、それを聞いていたジェイドとアスランはぞくりと背筋が震えたのだった。
(ルーク、ルーク、起きるのだ)
深く閉ざされた意識を揺さぶり起こそうとでも言うのか、先ほどからルークの頭の中に声が響き渡っている。
(う、・・・・・ん)
(ルーク、其方の身に危機が迫っている。其方だけではない。其方が愛する人間たちも、そしてこの世界も)
(愛するひと・・・? 世界・・・・?)
(歌え、ルーク。我を喚ぶのだ。そうすれば・・・・)
(その前に、私はどうしてここに・・・・・何でここはこんなにも真っ暗なの?)
瞬間、意識がようやく浮上しかけたルークの脳裏に鮮烈な記憶が蘇る。
自分が誘拐される姿を、父であるアスランが見上げていた。
その後ろには鈍く銀色に輝く剣を持つ影が。
いくらルークが逃げてと叫んでも、アスランは後ろの凶器に気づく事はなく、刃は吸い込まれるかのようにアスランの背に沈んでいった。
そして音もなく崩れる父の姿を見て、ルークは思わず叫ぶ。
「パパ!!!!」
叫ぶと同時に、ルークがパチリと目を開ければ、目の前にはキムラスカで別れたばかりの兄―――アッシュの姿があった。
周囲は薄暗く判然としないが、きっと心配そうに眉間に皺が寄っているのだろう。
意識を取り戻す前にあんなに聞いた男の声も、もう聞こえない。
「大丈夫か? 随分うなされていた」
「・・・・・・あにうえ?」
「ああ。お互い無事とは言い切れないが、とりあえず意識が回復したようだな。・・・・・・・良かった」
頭痛と凝り固まった身体に顔を顰めつつルークが起き上がると、彼女が意識を失った戦場ではなく、どこかの石牢に閉じ込められているようだった。
「みゅう! ご主人様、起きたですの〜っ」
嬉しそうな声がルークの腰のポーチから響いた直後、ミュウがぴょこりと顔を出して顔を輝かせている。(タルタロスが襲われた時から、ミュウはそこに隠れているように言われていたのだ。)
それに彼女は笑んでミュウの頭を撫でた後、再びアッシュへと視線を戻した。
「ここは・・・・」
「ダアトの深層・・・・いや、ザレッホ火山の方が近いか。そこの隠された牢獄だろう」
「もしかして兄上も?」
自分同様誘拐されたのだろうか。
ルークの問いに、アッシュの眉間の皺は更に増えた。
「非常に悔しいが、その通りだ。全てはローレライ教団・・・・いや、神託の盾騎士団総長ヴァン・グランツ謡将の策略だろう。俺を誘拐した時、マルクト兵に扮した兵士達が護衛役を殺した。ルーク、お前の時も似た様なものじゃないのか?」
「うん。キムラスカ兵が私たちを襲ってきたの。兄上の話を聞く限りじゃ、本当にキムラスカ兵かまでは分からないけど・・・・」
「どちらにせよ、俺たちにとって都合の悪い事が重なった。キムラスカはマルクトに不審を抱くだろう。マルクトも然り。ヴァン・グランツは預言で戦争が起こると言っていたが、奴らは預言通り戦争を起こす気なのかもしれん。」
「私と言う存在が、二国の状態を緩和していたから? だから邪魔だった・・・・?」
「だが解せない。・・・・もしそうなら、すぐにでも暗殺してしまえば事はもっと単純だったはずだ。反乱分子となりかねない俺たちを、何故生かす必要があるのか・・・・?」
「それは貴様らにまだ利用価値があるからだ。」
突如牢の外から聞こえてきた男の声に、二人は一気に警戒態勢を強めた。
数は三人ほどで、中央のローレライ教団の服を身に纏う太った男を、他二人で護衛している形なのだろう。
「貴様・・・ローレライ教団大詠師モース!!」
「口の聞き方には気をつけたらどうだ? もう一度痛い目に遭いたいかね?」
モースの言葉にハッとして、ルークは改めてアッシュを確認すると、護衛役が持っているランプの明かりで先ほどは気づけなかった物に気づいた。
兄の両腕は背で頑丈に固定されており、顔には痣やら出血した跡など無数の傷か出来ている。(それはきっと、彼が抵抗した時の怪我なのだろう。)
「兄上・・・!?」
「心配するな、そう大した怪我じゃない。」
妹を安心させるように浮かべた笑みは、怪我の痛み等で引き攣っていた。
それをモースは鼻で嗤う。
「強がりも程ほどにしておく事だな。」
「・・・・・貴様、ヴァン・グランツと共謀していたのか!?」
「共謀だと? フンッ、全ては偉大なるユリアの預言を遂行するため力を貸したに過ぎん。そもそも何故貴様らは預言に逆らおうとするのだ!? 預言通りならば未曾有の繁栄を得られるというのに、貴様らのおかげで戦うべき二国は目に見えて安定しだし、あの役立たずな導師さえも預言に逆らおうとする!」
「導師、だと・・・? 貴様、導師にまで手を出したのか!?」
「貴様らと同じく捕らえているだけだ。奴に見せ付けてやるために、まだ生かしてある。私こそが正しいのだと・・・・!!」
高笑いするモースに、アッシュは悔しげに唇を噛み締める。
ルークも同様に、拳を力強く握り締めた。
「・・・・・・それで、俺たちをどうする気だ?」
「この戦いの後、キムラスカが勝利し未曾有の繁栄を得る。その時跡継ぎがいなければ意味がない。アッシュ子爵には我々の同胞となるよう『教育』してから、マルクトに攻め込んだキムラスカに保護してもらおう。・・・・いや、我々の方で保護した事にすれば、恩は売れるか。さて、妹姫の方だが・・・・」
ねっとりと纏わりつくような視線に、ルークはビクリと肩を震わせた。
アッシュもそれに気づいて、ルークを守るように背後に隠す。
「超振動、と言う力を貴様らは使えるようだな。その力は実に魅力的だ。」
後に続くであろう言葉を容易に想像できて、アッシュはモースを憎憎しげに睨みつけた。
「もしかしたら、その力は子に受け継がれる可能性は無きにしも非ず。この私が新たな導師となったあかつきには、キムラスカ王族と姻戚関係になるのも捨てがたい。そして貴様だけではなく、貴様の子等もダアトの尖兵として教育すれば、我々の地位とて不動の物となるだろう!」
「貴様・・・・今の発言でどれだけ妹の誇りを踏み躙ったのか、気づいているか・・・・いないのだろうな。妹に手を出してみろ? その首、必ずや俺が掻き切ってくれる!!!」
「フハハハハッ! 今の貴様に何が出来る?」
護衛役の一人が石牢の中に足を踏み入れ、拘束された状態にも関わらず、アッシュは必死にルークを守ろうとする。
だがそれは護衛役に容赦なく顔面を殴打されて、吹き飛ばされてしまった。
「兄上ッ!!」
声をかけても、アッシュは身体を痙攣させるだけで答えは返らない。
アッシュはアッシュで、今にも意識が飛びそうなのを何とか堪えている状態だ。
ルークが兄の側に駆け寄ろうとする前に、モースもまた石牢の中に入ってくると、彼女に近づいてくる。
こんな時こそ譜術の一つや二つ唱えて、さっさと脱出を図るべきなのだが、目前の危機に身体が恐怖で震えてしまうのだ。(あの男の手に掴まってしまえば、どうなるかなんて分かりきっている。)
「う、ぁ・・・・っ」
モースの手が己に伸びてくる。
ルークの脳裏には、アスランが倒れた姿がフラッシュバックし、さらにアッシュが倒れた姿と重なってしまう。
そしてやはり最後に思い浮かぶのは、大好きなピオニーの姿だ。
一方で、主の非常事態に気づいて今まで機を見計らっていたミュウが、近づいてくる男に火を吐こうとしてポーチから飛び出ようとしていた。
「ご主人様に触るな、ですの〜〜〜!!!!」
「い、嫌だーーーーー!!!!」
ミュウがポーチを飛び出したのとほぼ同時、ルークの精神状態は極限まで追い込まれ、そしてルークの譜力が暴走を始めたのだった。
(響け! ローレライの意思よ、届け! ・・・・開くのだ!)
遥か意識の底で、誰かがそう叫んでいたのだが、ルークは気づかない。
ルークとアッシュが膨大な金色の光に包まれたかと思うと、次の瞬間には大きな衝撃と共に2人は姿を消していた。
「・・・・みゅ?」
飛び出した直後、衝撃に吹き飛ばされたミュウはころころと牢の外まで飛ばされて、ようやく起き上がれば、あんなに頑丈そうだった石牢は崩れ壊れていた。
アッシュを殴り飛ばした護衛役の姿は見えない。
瓦礫に埋もれてしまったのだろう。
モースは寸での所で逃げ延びたのか、這這の体で生き残った護衛役と共に姿を消していく所だった。
「みゅう・・・・ご主人様、いないですの」
もしかしなくても置いていかれたのだろうか。
不可抗力とはいえ、その事実に若干肩を落としたミュウの耳に、弱って掠れた声が聞こえた。
「・・・・そこに、誰か、いるのですか・・・・?」
ミュウは声に導かれるかのように、ちょこちょこと声が聞こえた別の石牢に近づいて行ったのだった。
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