『おはよう、俺のお姫様。機嫌はどうだ?』
(貴方が来る前までは最低でしたわ。だって何もする事がないんですもの。
でも今は貴方がいます。
とても嬉しいですわ。)
口に出さず心で問いかければ、自分だけに聞こえる少女の声が響いてきて、ルークはくすりと笑った。
5年前、ルークは何者かに攫われ記憶の一切を失って戻ってきた。
『昔の自分』を惜しむ周囲の人間にうんざりしながらも、ルークは少しずつ着実に知識を吸収していった。
そしてある程度知識を身に付けたところで、ルークは父親であるファブレ公爵に連れられて登城したのだった。
本来ならたとえ貴族の子と言えどおいそれと入れぬ城に登城する事になって、ルークは柄にも無くとても緊張していた。
城の最奥・・・・王族しか入れぬ区域に足を踏み入れた時は、思わず父を振り仰いだ。
許可もなしに王族以外が入れば、その地位に関係なく重い罰を受ける事になる。
「父上・・・・!」
「案ずるな、ルーク。ちゃんと陛下の許可は取ってある。」
その言葉に幾ばくか安堵したところで、大きな広間に出た。
足元にはガラスで作られたのだろうキムラスカ・ランバルディアの国章が刻み込まれている。
「ここは王族専用の隠し部屋へと通じる場所だ」
「隠し部屋、ですか?」
「そうだ。」
「・・・・いいのですか? そのような大事な場所に・・・・」
「これは陛下からの命だからな、構わん。王族以外が隠し部屋へと行く場合、その都度変化する暗号を解読したりしなければならないが、王族は別だ。」
「どうするのですか?」
「一滴でもいい。この国章に血を垂らすのだよ。王家の血に反応し、道は開かれる。」
「へぇ・・・」
思わず感心しながら床の国章を見つめるルークに、クリムゾンは呆れたように子供の名を呼んだ。
「ルーク、何をぼさっとしている?」
「は?」
「聞いていただろう、道を開いてくれ」
「え、でもそれには暗号を解かなければ・・・・」
「王族以外はな。」
「父上も俺も貴族であって王族じゃありませんよ」
「確かにな。だが忘れていないか、我が妻にしてお前の母はれっきとした王族だ。そしてその血は確かにお前に受け継がれている。私にこの道を開けなくとも、お前には開けるのだ。それ以上に、お前は将来このキムラスカの王になる男だぞ」
父の言葉にルークは「あ、」と今更ながらに気づいた。
シュザンヌは現在降嫁したとはいえ立派な王族だ。
ならばその血を引く自分もそうなのだろう。
「わかりました。ではこの床に血を垂らせばいいのですね?」
「あぁ、頼む。」
ルークは城内で帯剣を許されている父から護身用のナイフを受け取り、その刃先に指を押し付けた。
軽く指を引くと切れ味の良いナイフの表面を一筋の赤が伝っていく。
やがて一滴の血が国章の上に落ちた瞬間、床のガラス一面が光だし、大きな振動と共に床自体が降下して行く。
「ち、父上!?」
「うろたえるな。昇降機と同じだ。」
昇降機と同じと言われても、その昇降機に乗った事自体忘れているのだからうろたえるなと言う方が無理だ。
緊張しながらも地下奥深く下りていくと、やがて大きな空間に行き着いた。
大きなドーム上の部屋に、誰かが植えたのだろうセレニアの花がたくさん咲いていた。
「おぉっ、クリムゾン、ルーク、来てくれたか!」
「クリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレ、並びにルーク・フォン・ファブレただ今御前に参上致しました。お待たせしてしまい申し訳ありません。」
2人をここへと導いた張本人であるインゴベルト王の姿を認めると、クリムゾンはすぐさま膝をつき頭を垂れたので、慌ててルークもそれに倣う。
その様子にインゴベルトは、苦笑して頭を上げるよう指示を出した。
「そんな堅苦しい事をしなくともよい、クリムゾン。」
「それに慣れてしまっては、本当に必要な時に愚考を犯すかもしれませぬ。我らを侮る者も出てくるでしょう、陛下」
「おや、では聞くがクリムゾン、お前は何時如何なる時でも公私を分別できないとでも言うのかな?」
どこかからかうような王の言葉に、クリムゾンは眉間に皺を寄せたが結局は小さく溜息を吐いただけで、「いいえ」と否定の言葉を呟いた。
その言葉に満足そうに笑った王は、クリムゾンからその息子であるルークへと視線を向けた。
「よく来てくれた、ルーク。息災で何よりだ」
「勿体無きお言葉でございます、陛下」
「記憶をなくしてしまったのは残念だったが、忘れてしまったのならもう一度覚え直せば良い事だ。あまり深く考え込まぬようにな」
「・・・・はい。」
労わりに満ちた王の言葉に、ルークは何ともいえないむず痒さを覚えつつ、頭を垂れた。
「それでな、ルーク。お前をここに来させるよう命じたのは他ならぬこの私だ。」
「はい。」
「お前も小さい頃ここに来た事があるのだが、記憶を失う前のお前はどうも『この事』を忘れてしまっているようでな。今のお前は正真正銘記憶喪失だ。だからもう一度ひき会わせようと思うてな」
「会わせる・・・・?」
一体自分が王族専用の隠し部屋で会わなければならない人間とは誰なのか。
疑問を浮かべながら、インゴベルトの導きにルークとクリムゾンは従う。
そうして部屋の奥にまるで守られるように(隠されるように)存在する一つの天蓋付きベッドがあった。
閉ざされたレースの隙間から、幾つものコードがはみ出し、近くの譜業機械へと繋がっている。
「・・・・陛下、」
「うむ。ルーク、こちらへ」
インゴベルトにベッドにもっと近づくよう促され、恐れ多くも王の隣で足を止めるとインゴベルト自らレースを開けようとするよりも早く、クリムゾンが恭しくレースを開けた。
そこにあったのは、王族の証である赤い髪の少女が昏々と眠り続けている姿だった。
「もう一度紹介しよう、ルーク。我が娘、ナタリアだ。」
ルークが驚きに目を見開いて少女を見つめていたが、王の言葉に弾かれたように顔を上げた。
「ナタリア・・・? しかし陛下、ナタリアは・・・」
金髪の少女であったはずだ。
「お前が言っているのはメリルの事だな」
「メリル?」
「そう、ナタリアは未熟児として生まれ、ナタリアを生んだ際妃も死んでしまった。ナタリアは一命を取り留めたが、以来ずっと眠り続けている。譜業を使って何とか生き長らえているが、このまま眠り続けるのか、それとも奇跡が起こり目を覚ましてくれるのかわからん。そこで、ナタリアが何時起きてもいいように・・・・対外的には王女がいるように見せるために、影武者を置いた。それがメリルだ」
インゴベルトがおもむろに振り返るのでルークもそれに倣うと、いつもはドレス姿のルークの見知ったナタリア・・・・いや、メイド服を着たメリルの姿があった。
「お前が・・・メリル・・・」
「はい、ルーク様。私はナタリア様付き護衛兼影武者にございます。平時のご無礼を深くお詫び申し上げます。」
深く頭を下げるメリルに、ルークは困ってしまった。
「別に構わないさ。要はここを出れば、お前がナタリアという事だ。ナタリアはキムラスカ国の唯一の王女。王女としての振る舞いが影武者のお前に求められるのだから」
現に彼女はいつか目覚めるかもしれない主の為に、あまり表に出ないようにしながら国民の信頼を勝ち取る為主の名で慈善事業に力を入れているのだ。
ルークは彼女のそんな心意気と行動を買っていた。
「ルーク、」
「はい、陛下。」
「・・・・・・もしも。もしもこのままナタリアが目を覚まさず、そして私もまた永劫の眠りについた時、お前には私の代わりにナタリアを守って欲しい。」
頼む。
そう言って一国の主が頭を下げるという信じられないような事態に、ルークは慌ててインゴベルトを止めた。
「陛下、俺のような者に頭を下げるなどといけません! それに恐れながら、御許しが頂けるなら俺自身ナタリア姫をお守りしようと思っていました。陛下、俺はまだ剣もうまく扱えず、政治も何も知らぬ若輩者です。ですがどうか俺にナタリア姫を守らせて下さい。お願いします・・・!」
インゴベルトの前で今度はルークが跪き、必死で王に語りかけた。
少年の必死の姿に、インゴベルトは思わず苦笑してしまった。
「許す、ルーク。・・・・・・・だが、お前は本当に記憶を失う前とまるで別人のようだ。ルーク、お前に聞きたい。何故ナタリアを守ってくれるのだ?」
「命令だからではありません、陛下。これは俺自身の意思なのです。」
いつもいつも記憶を失う前の『自分』を望まれてきたルーク。
その以前のルークが忘れてしまった護るべき本当の婚約者は、美しき眠り姫だった。
彼女だけが、『過去』に囲まれた『今』の自分の存在意義のように思えたのだ。
「・・・・護りたい、ただそれだけなのです。」
ルークの真っ直ぐに見つめてくる視線に、インゴベルトはただ「そうか」と頷き返しただけで、王は眠ったままの娘の白い手をルークに差し出した。
「ならば、誓いを。」
「はい!」
ルークは恭しくナタリアの白く細い手を包み、そっとその手の甲に唇を当てた。
言葉だけでは足りない。
強い思いをそのキスに込めて、ルークは唇を離した。
「必ず、貴方と共に在り貴方を護ると・・・・・。」
自身に刻み付けるような言葉に、酷い頭痛と共に思ってもみない返事を返された。
(貴方は、だぁれ?)
「・・・ぅあっ!?」
突如苦しみだしたルークに、インゴベルトとクリムゾン、メリルは心配そうにルークに近寄った。
「ルーク!? どうしたっ?」
「父上っ、女・・・・女の子の声が、頭の中に響いてっ・・・・・!!」
「女!!?」
(私の声が聞こえるの?)
心底意外そうな少女の声に、ルークは頭痛で苦しみながらも肯定の返事を返す。
「あぁっ! 君は・・・・・っ」
(私? 私はナタリアと言うの。すごいわ! 今まで私の声を聞こえた人なんていなかったのに!)
貴方は私の声が聞こえるのね!
聞こえてくる声はとても嬉しそうだった。
だがそれ以前にルークは少女の名を聞いた瞬間、酷い眩暈を覚えた。
「ナタ、リア・・・・?」
ルークの呟きに、周囲の3人は酷く驚いたように息を飲んだ。
(そうよ、貴方はどなた?)
「俺は、ルー・・・・ク、・・・・だ」
最後の気力を振り絞りルークが名を答えた直後、彼の視界は闇に包まれた。
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